文化・芸術

妖怪としてのゴジラ

1954年に「ゴジラ」が公開された時には、当時の批評家はこぞってこの映画をキワモノ扱いにした。
「まともな大人が見る映画ではない。したがって、まともに批評するべき映画ではない」と切り捨てられたのだ。
これは「ゴジラ」ばかりではない。他の特撮映画も同じようなものだった。
1961年の「世界大戦争」がキネマ旬報の15位に入ったのがむしろ例外で、1995年に「ガメラ 大怪獣空中決戦」がキネマ旬報のベストテン入りを果たすまで、特撮映画は映画賞とは無縁の存在だった。
あれから50年以上たって、未だに「ゴジラ」をキワモノ扱いする人は、もういなくなった。
それどころか、今では「ゴジラ」は日本映画史上の革命的作品として、「七人の侍」と肩を並べる地位にある。
さらに、国語の教科書に載るまでになってしまった。
「ゴジラ」を題材にした評論である。
その名は、「妖怪としてのゴジラ」
ゴジラは怪獣だろ!
と突っ込みたくなるタイトルだが、実は今から20年以上前に書かれた、民俗学者・宮田登の論文だ。
これが実は国語の教科書に載っている。
大修館書店の「新編国語総合」という教科書だ。
この評論の中で筆者は、「妖怪談義」の柳田国男を参考に、妖怪を研究すると何が分かるかという問題提起をしている。
その上で、怪獣や妖怪といった存在に、現代人が何を託しているのかを論じた文章だ。
ゴジラが教科書に載るなんて、時代も変わったなあ。

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演劇地区大会リポート(その4)

前回はいらぬ話で終わってしまった。
さて、とうとう本番である。
こういう場合舞台に立つ生徒より、顧問のほうが緊張するらしい。
台詞はちゃんと聞こえるか。
芝居が止まってしまわないか。

ちなみに、内容は不登校になった女の子がとうとう留年になってしまい、そのことを担任が告げに来るところから始まる。そして女の子の両親や妹とのやりとりの中で、それぞれの胸にある思いが表に出てくる・・・というストーリーである。

開演のブザーが鳴る。

花道から担任役の生徒が出てくる。
不登校の女の子の家に入る前に、自分の子供に留守電を入れる場面があって、それから玄関のピンポンを押す。
そしてどたばたと、女の子が出てくる・・・といった具合で、芝居は進む。

結論から言うと、予想以上にうまくできたと思う。
致命的なミスもなかったし、役者の生徒もよく声が通っていた。
ほとんどが一年生だが、よくやったと思う。
でも、本番が終わったら即帰っていい・・・わけではないところが、つらいところである。

あとは運営委員に回らなければならないのだ。
で、ぶろぐるの学校は「広報係」を任された。
広報係とはすなわち、各校の演劇が終わるたびに楽屋に言って、取材をして、かつそれを原稿にまとめる係。
はっきり言って、大変だ。
ぶろぐるは大変ではないが、生徒が大変そう。
演劇も見なくちゃいけない。
話を聞きに行かなくちゃいけない。
そしてそれを、原稿にまとめなくちゃいけない。

でも、顧問だって実は大変なんだよ。
ホテルの手配はしなくちゃいけないし、移動手段の確保もしなくちゃいけないし、生徒の健康状態に気を遣わなければいけないし・・・。
どれ一つ取っても、出場にはなくてはならないものだ。

とまれ、つつがなく本番がすんで、生徒ともどもほっとした次第。
夜は思い切り飲みました(◎´∀`)ノ。

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こんな時代だからこそ

先日のブログで、ケータイ小説に関して思うことを書いた。
そしたら、瀬戸内寂聴が「ケータイ小説書くのはもう嫌だ」と言ったという記事を見つけてしまった。
あらら・・・ケータイ小説に対する批判かな、と思ったらさにあらず。
自分がケータイ小説書くのは嫌になった、ということだった。
そりゃそうだろうな。
ケータイ片手に、またはパソコンに向かって何事かを書くには、ちょっとお年を召しすぎてるもの。

そこで、またまた思った。
ケータイ小説が進化するためには、もっといろいろなジャンルの作品が出てこなければならない。

例えば、ファンタジー物とか。
社会派ものとか。
時代ものとか。

そんなのイマドキの若者は読まねーよ、と思うなら、こんなのはどう?
「プレカリアート文学」

「プレカリアート」って何だ? という人は、ここをクリック。

巷でベストセラーになった『蟹工船』は、言うまでもなくプロレタリア文学の代表的作品。

だったら平成の世にも、「プレカリアート文学」があっていいのではないか。
働けど働けどわが暮らし楽にならざる若者たちの小説があってもいいのではないか。
しかもそれをケータイ小説にする。
おそらく女子高生の恋愛モノよりもっと、バカウケするかもしれない。

ひょっとしたら、昨今の格差社会を動かす起爆剤になるかもしれない。

出でよ! 平成の小林多喜二。

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演劇地区大会リポート(その3)

明けて11日は、いよいよ本番の日だ。
我が演劇部はあろうことか、トップバッターである。
トップバッターといえば聞こえはいいが、役者にとってはかなりつらい。
朝イチというのは、もっとも声が出づらいからだ。
それでもどうにかしなければならないので、朝も早くから起き出して、部員は近くの広場で発声練習をした。
で、発声練習の定番と言えば、なんと言っても「あめんぼあかいなあいうえお」
演劇部・放送部・合唱部でこれを言った人はいないくらい発声の定番中の定番。

あめんぼ   あかいな  あいうえお   うきもに  こえびも   およいでる
かきのき   くりのき   かきくけこ  きつつき  こつこつ   かれけやき
ささげに   すをかけ   さしすせそ   そのうお  あさせで  さしました
たちましょ  らっぱで   たちつてと   とてとて  たったと   とびたった
なめくじ   のろのろ   なにぬねの  なんどに  ぬめって   なにねばる
はとぽっぽ  ほろほろ  はひふへほ  ひなたの  おへやにゃ ふえをふく
まいまい   ねじまき  まみむめも   うめのみ  おちても   みもしまい
やきぐり   ゆでぐり   やいゆえよ   やまだに  ひのつく  よいのいえ
らいちょうは さむかろ   らりるれろ   れんげが  さいたら  るりのとり
わいわい   わっしょい  わいうえを   うえきや  いどがえ  おまつりだ

で、漢字交じりだと、

水馬(あめんぼ)赤いな、ア、イ、ウ、エ、オ
浮藻(うきも)にこえびもおよいでる。

柿の木、栗の木、カ、キ、ク、ケ、コ
きつつきこつこつ、かれけやき。

大角豆(ささげ)に酢をかけ、サ、シ、ス、セ、ソ
その魚(うお)浅瀬でさしました。

立ちましょ、ラッパで、タ、チ、ツ、テ、ト
トテトテタッタととびたった。

なめくじのろのろ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ
納戸(なんど)にぬめって、なにねばる。

鳩ぽっぽっぽ、ほろほろ、ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ
日向(ひなた)のお部屋にゃ笛を吹く。

まいまい、ねじ巻、マ、ミ、ム、メ、モ
梅の実落ちても見もしまい。

焼栗、ゆで栗、ヤ、イ、ユ、エ、ヨ
山田に灯のつく宵の家。

雷鳥は寒かろ、ラ、リ、ル、レ、ロ
蓮華(れんげ)が咲いたら瑠璃(るり)の鳥

わいわい、わっしょい。ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ
植木屋、井戸換え、お祭りだ。

この詩(?)を作ったのは、北原白秋。
国語的には詩集『邪宗門』『思ひ出』の作者。
音楽的には童謡「待ちぼうけ」「この道」「ペチカ」の作詞者。

名付けて「五十音」。

さあ、みんなで唱和しよう。
滑舌がよくなるかも。

まあ、そんなことはどうでもいいことだけど。
いよいよ本番である。

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演劇地区大会リポート(その2)

で、当日は昼から生徒を公欠扱いにしてもらって、全員まず部室に集合。
大道具小道具をトラックに積み込む。
そして急いで昼食を食べて、生徒は学校のバスで出発。
2時間ほどかけて、某市の会館ホールに到着。
その間ほぼ爆睡。

到着と同時に、トラックから荷物を降ろす。

平たいパネルに人形(パネルを支える木材をこういう)を取り付ける。
さらに、パネル同士を横木で補強する。
ドア部分にも補強材を取り付ける。
それらを含め、大道具小道具を舞台袖に搬入する。
当然ウチの部員だけでは手が足りないので、他の高校の部員も手伝うことになる。
「パネルお願いしまーす」「受けましたあ」「人形に注意してくださーい」「足下にも注意してくださーい」「バトン(吊り道具を吊すための横棒)を降ろしまーす」「頭上注意です」
大げさなくらいに声を出し合うが、そうでもしないとケガをしかねない。
道具搬入の袖口およびステージは、かくも大変なのである。
そのときの演劇部員の恰好は、ほぼ例外なく黒シャツにジーンズという出で立ち。
でもなければ、制服では身動き取れない。
特に演劇部は、どちらかというと女子が多いので。

大道具小道具を袖口に入れたら、ステージのどこにそれを置くかあらかじめ決めなければならない。
各種道具をどこに置くか決めることを「バミる」という。
そして、そのための目印に使うテープを「バミテ」という。
部員は、バミテを張るために体中にぺたぺたバミテを張っていく。
そしてそれを、バミるたびにステージ上の定位置にぺたぺた貼り付けていくのだ。
それができたら、バミテに沿って各種道具をステージ上に配置する。
さらに、各場面ごとの照明の位置を確認。
位置がずれていたら、会館のスタッフが5・6メートルほどの竹の棒を照明に引っかけて、ライティングの位置を変えていく。
もちろん、立ち位置に部員を立たせておいてだ。
そうした打ち合わせの上で、いよいよリハーサル開始。

舞監(舞台監督)の部員が、照明や音響がタイミングよく入るか確認。
特に音響は音が小さすぎても大きすぎてもだめなので、何度もやり直す。

どうです、めんどくさいでしょ?
実際めんどくさいんです。
でも、演劇ってそんなもの。

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演劇地区大会リポート(その1)

演劇部顧問として、初めての地区大会に行ってきました。
ウチの演劇部は、かつてはかなり上の大会まで行ってたらしいですけど。
指導者変われば雰囲気変わるで、
動きは悪いわ、台詞はかむわ。
まだまだ、本番にもっていけるほどの状態ではないですが。
7名しかいない部員なので、人的にも金銭的にも苦しい状況ですが。
とにかくがんばってきます。というより、きました。

大会参加は、部員も大変ですが、顧問はもっと大変です。
まず、移動の手段を手配しなくてはいけない。
人間だけではなく、大道具小道具にパネルまで移動させなければならない。
それに伴ってお金がいるので、必要金額を生徒会に計上。
日帰りで行ける場所でなく、かつ日程でもないので、ホテルの手配もしなければならない。
大会当日の弁当の注文もしなければならない。
泊まりで行くので、保護者の同意も取らなければならない。
生徒会からもらった経費の管理もしなければならない。
本番直前の部員の心のケアもしなければならない。

とにかく直前の一週間は、目が回るほど(@Д@;忙しい。
あんまり忙しいので、文化祭にエントリーするのを忘れてしまった(o^-^o)。(つづく)

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ギャル語つれづれ

今朝のTBSの「朝ズバッ!」で、最近の渋谷系ギャルの言葉を紹介していた。

ウーロン茶・・・うざい・ロン毛の・茶髪野郎
ATM・・・あいつ・ときどき・ムカつく
諭吉先輩・・・一万円札

だとか。
「あのウーロン茶、マジATMだよね。」
てな具合に使うのでしょうか。
はっきり言ってさっぱりわかりません。
テレビでも答えを聞くたびに、出演者から笑いの声が聞けました。
でも、説明を聞くと理解できましたけど。

最近の若者の言葉は乱れているなどという、何十年前からの常套句を持ち出すよりも先に、手をたたいて笑ってしまう。
なかなかうまい、と思った。

でも、ぶろぐるの学校に通う田舎の女子高生には、ほとんどちんぷんかんぷんだろうな。
見た目はいじらしいほどギャル風にしているけれど。

そこで、つまらないことを考えた。
「日本ギャル語検定協会主催(そんなのないですよ) 日本ギャル語検定(略して「ギャル検」)」をやろう!
上の言葉の意味が8割以上分かった人は、渋谷系ギャルと同等の頭のレベルである、と。
ぶろぐるの学校は総合高校なので、いろいろな資格試験をやっているけれど、この検定だけは死んでもやらせてもらえないだろうな。

というより、これらの言葉の大半は、イマドキの歌にあまり反映されていないところを見ると、当のギャル姫様も「所詮はウチらの時代だけのもの」と割り切っているのかも。

ということは、上のギャル検も、お遊び以外の何物でもないというわけで。
合格しても、何の自慢にもならない、と。

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ケータイ小説への私見

作家の瀬戸内寂聴さんが、実は「ぱーぷる」というペンネームで「あしたの虹」というケータイ小説を書いていたことを告白した。
瀬戸内寂聴さん、御年86歳。
作家にして天台宗の尼僧。
2005年に文化勲章を受章。
にもかかわらず、ケータイ小説を書くなんて、年寄りの冷や水にもほどがある・・・じゃなくて、冗談抜きですごい(*^-^)。

それはそれですごいことなんだけど。
イマドキの女子高生は、いわゆる文学作品は全然見向きもしないけど、ケータイ小説はよく読む。
ぶろぐるの学校では「朝の10分間読書」をやっているけど、女子生徒の大半は、ケータイ小説を読んでいる。
もしくは、アニメやゲームのネタになりそうなジュニア文庫。
まちがっても、森鴎外やドストエフスキーを読む女子生徒はいない。

女子高生にとって、これが「文学」なのだろう。
「いわゆる文学作品」を愛してきた人にとっては顰蹙ものでも。

時々新聞や雑誌の記事で見かける。「ケータイ小説は『文学』か?」
中身を見ると賛否相半ばしているようだけど、ケータイ小説が「文学」たりうるかどうか、見極める方法がある。
ワインみたいに、20年ほど寝かせてみることだ。

新しいものが出てきたときに、賛否両論を呼ぶのは世の常だ。
また、出てきた当初はもてはやされても、年月が経つにつれて、忘れられたり顧みられなくなったりすることもよくある。
逆に、出てきた当初はさんざん酷評されても、後になって傑作扱いされることも、これまたよくある話だ。
だから、ケータイ小説全盛の今、ケータイ小説の文学的価値を云々するのは、あまり意味がないような気がする。
ぶろぐる的に言えば、文学的価値とは(いや、あらゆる芸術的価値とは)「何年経ってもみんなの鑑賞に堪えうるか」ということだ。

ケータイに変わる、新しいコミュニケーションツールが誕生し、普及したとき、ケータイ小説が前時代の遺物になるのか。
それとも、形を変えて、人々の支持を得るのか。
はたまた、かつての青春ドラマのように、後の時代の若者にとってパロディの対象になるのか。

全てはこれからだ。

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祝! 青井阿蘇神社国宝指定

遅ればせながら、おめでとうございます。「青井さん」。

うれしいですね。「青井さん」。国宝指定!

別に人吉球磨の出身じゃないけど。

昔10年近く住んでいたことがあるんで。

Photo_3

ちなみにこの写真は、「青井さん」の本殿です。

この写真を撮影した当時は、ちょうど「青井さん」の創建1200年の節目に当たる年でした。

確かこの日の前後に、ばってん荒川が亡くなったんだっけ。余談ですが。

ところで、青井さん青井さんって言ってますが、もちろん「青井さん」は人の名前ではありません。

神社の名前です。正式名称は「青井阿蘇神社」。

場所はJR人吉駅から歩いて10分ほど。駅に右手にこんもりと茂った森が見えてきたら、そこだと思って間違いない。

「青井阿蘇神社」という名前の通り、阿蘇神社から「健磐龍命」という神様を分祀してもらった神社。

でも。本家を通り越して、熊本県初の国宝に指定された。いや、めでたい。

青井阿蘇神社についての詳しい解説はこちらをクリック。 

ぶろぐるとしては、たとえ「青井さん」が国宝になっても、ずっと身近な「青井さん」でいてほしいと思うわけであります。

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花しょうぶ祭りに行ってきました

Photo_2 もう少し大きめの写真で紹介したいところですが。

ぶろぐるの技術ではこれが限界。

熊本県は天草の本渡というところに、「西の久保公園」という、ちょっとした規模の公園がある。

ここは写真のとおり、花しょうぶで有名なところである。

公園のいたるところに花しょうぶが植えられている。

その数なんと25万株。西日本最大級とか。

アジサイも6千株植えられている。

Photo_3 この公園は、毎年6月頃になると「花しょうぶ祭り」と銘打ったイベントが開かれている。今年で4回目だ。

くわしくはこちらをクリック。

休日を利用して昨日行ってきた。

あいにくの曇り空だったが、花しょうぶやアジサイはむしろそういう天気の方が映える。

いやはや、見事なもんだ。

花しょうぶより一段高い通路から、満面の花しょうぶを見下ろす、いとをかし。

いずれアヤメかカキツバタ、ハイヤ道中踊り。きれいだったなあ。

地元の女子高生や同好会からなる3つのグループが、花しょうぶの間を縫って踊る様はさながら一幅の絵のよう。Photo_4

その中一つは、今度の夏に全国大会に出場するそうな。すごいね。

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万田坑をゆく

熊本県は荒尾市に、三池炭鉱跡地「万田坑」がある。

明治時代に採掘が始まったが、昭和26年に閉坑してしまった。

それでも他の炭鉱とつながっていたため、施設は平成9年の閉山まで操業していた。

そんな万田坑に、こないだ行って来た。

Photo

うーん、圧倒される。

荒尾にこんな立派な近代遺産があるなんて、ぜんぜん知らんかった。

Photo_3  ツアー客が元炭坑夫のおじいさんの案内であちこちめぐってた。平均年齢かなり高い。

万田坑はいわゆる「観光地」とは言いがたい。売店があるでなし、案内板もかなり控えめだし。

はっきり言って、一回は通り過ぎてしまうかも。

万田坑は史跡というより、廃墟に近い。いや、廃墟そのものだ。

Photo_4

ガラスの破片やら鉄くずやら、片付けもされずに残っている。

上の写真は「職場」と呼ばれる建物ですが、屋根の真ん中が見事に崩れ落ちてます。

梁やら棟木やら、あちこち飛び出して、見るからに危険そうなのに、立ち入り禁止じゃないのだな。

Photo_6これは、第二竪坑ヤグラを坑口から見上げたもの。

見上げてたら案内人のおじさんから、「時々鉄骨が落ちてきますよ」といわれた。

この真下の坑口は閉山時に埋められてしまった。

触ろうと思えばいくらでも触れるし、入ろうと思えばどこでも入れる。その気になれば、お持ち帰りもできる。

現に銅線ケーブルなんか、あちこち持ってかれてたし。

でも、変に立ち入り禁止の立て札立てて、ロープ張るより、ずっと当時の雰囲気をリアルに感じられる。

なんか、この場所だけ、時間が止まったって感じ。

三井三池炭坑が日本最大の炭坑だった頃は、荒尾や大牟田は大変なにぎわいようだったそうですが。

今では荒尾市は駅前周辺がさびれてしまい、わずかにグリーンランドとショッピングセンター界隈だけがにぎわっているという、どこの地方都市にもありがちな問題を抱えている街です。

だけど、この「万田坑」だけは、絶対に残してほしい。

これが荒尾のアイデンティティだから。

Photo_7 

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