年甲斐もなくラップのこと(その2)
今の日本を振り返ると、ラップ(本来のラップね)のネタになることって、ものすごく多い。
特に格差社会のひずみは深刻だ。
低賃金・低収入、それに物価高と金融危機が追い打ちをかける。
ぶろぐるは高校で教壇に立っているので、目の前の高校生の何割かが確実に貧困層に陥ることを考えると、暗澹たる気持ちになる。
でも。
ラップの生い立ちを考えると、いずれは日本の若者の中から、大手のレコード会社のものとは別の、原点に立ち返ったラップが登場するかもしれない。
「そんなのできるわけないだろう。イマドキの若者は甘やかされて覇気がないから」なんていう声がネットから聞こえてきそうな気がする。
でも、わかんないよ。
いっときのラブソングでは自分の気持ちをごまかしきれなくなって、自分の怒りや不満をストレートに歌う若者がどこかのネットカフェか個室ビデオ店から出てくるかもしれない。
と、ここまで書いてきて、はたと思いついたことだが、先日のブログでケータイ小説の「プレカリアート文学」よ出てこい! という話をした。
それがラップでも、別にいいんじゃない?
そして貧困にあえぐ若者たちがその歌を起爆剤に、自分たちの置かれている現状を変えていければ、それはいいことじゃない?
雨宮処凛さん、どうでしょう、このアイデア。
余談です。「太田総理」で、アッキーナが言ってたね、「ラップを聴くとテンション上がる」って。(前日のブログ参照)
そりゃテンション上がるリズムだから当たり前だ。
不協和音のラップなんて、ドン引きだろう。
(ちなみに不協和音とは、怖い音楽を作るときにうってつけのメロディやリズムのこと。「ジョーズ」や「ほんとにあった怖い話」のテーマ曲が好例。)
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